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2018.03.29ずぶ濡れになって走ってくれた生え抜きの

お花見の季節ですが、夏の話題です。

今からちょうど10年前に、前年に復活した地元うつのみや花火大会の実行委員会会長として仲間と一緒に活動させて頂いた夏がありました。

2003年を最後に、2004・2005・2006年の3年間中止されていたうつのみや花火大会。

「その会長をやったのだから、花火に詳しいんですよね?」などと言って頂くこともありますが、それは全くの誤解。2001年に10年近く離れていた地元に帰って来てからも、そもそも宇都宮で過ごした高校時代までも、この花火大会を観に行ったことは、一度もありませんでした。

すべて人の縁。先輩から「ちょっと手伝ってくれないか?」と頼まれ行った先が、2007年『復活』に向けた実行委員会のミーティング。初代会長の廣辻氏が、鬼気迫る形相で皆を鼓舞し、「どうせお前らになんか出来っこないよ」と言われる中を、突き進んで行ったのです。とても勉強になったし、カッコよかったなぁDJ.hiro

その廣辻氏から「来年頼む」と声を掛けてもらい、やるからにはマグレではなくケイゾク出来るようにしていこう!と、「100年続け!夢花火」をスローガンに仲間と当日まで走り続けました。

「おっ!思っていた通りに行けるぞ!俺ってやるなぁ・・・」そんな思いが少し頭を過ったのでしょう。バケツをひっくり返したかのような、ゲリラ豪雨。当時の地元新聞より 「打ち上げよう!」「大丈夫だ!」「危険だやめよう」仕事の合間を縫って協賛金集めに奔走した日々や、各所に頭を下げて準備物を貸してもらいに行った事を思い返すと、なかなか中止の判断は出来ませんでした。

ですが、最後は自分。皆の前に一人立ち、中止と明日の順延を伝えた夏の夕暮れは、今でも薄れることのない『決断』の記憶です。その夜「もともと何もないところからやったんだから、また最初からみんなでやればいいよ」と語り合い夜を明かし、なんとか翌日無事に花火を打ち上げることが出来ました。

その後も、3年目、4年目、5年目・・・10年目とタスキはつながり、今年は松本篤が会長を務めます。あの豪雨の決断の日、ボランティアスタッフとして一緒にずぶ濡れになって走ってくれた生え抜きの実行委員メンバー。「来年、会長やります!」と話してくれた時は、とてもうれしく感じました。2018うつのみや花火大会

長くなりましたが、100年続くためには「俺やります!」という地元愛のあるニンゲンが手をあげつづけるかと、その人間を支える仲間がいるか。この2つだと思っています。 何年先まで見られるかわかりませんが、毎年仲間と河原でのんびり楽しませてもらいます。

宇都宮市 豊郷地区出身 山口弘人うつのみや花火大会トチペ紹介 (1)