神原亜希恵さん
profile
まつげエクステサロン「automne(オトンヌ)」を自宅にて経営。
25歳で結婚してから、出産、家の新築、夫との死別をわずか3年間で経験し、一人で子育てをしながら生活のために「できること」を精一杯やってきた。謙虚で感謝の言葉をさり気なく口にし、人の気持ちを不思議に穏やかで満たされた思いにしてくれる、ぬくもりあふれる魅力的な女性。
今人生の折り返し点に立ち、これからの自分の新たな可能性に一歩を踏み出した。
automne(オトンヌ) フランス語で「秋」という意。
栃木県宇都宮市野沢町96-7
『ドラマチックな20代』
亜希恵さんのプライベートサロンは、閑静な住宅街の一角にひっそりとある。
玄関ドアを開けると、お香の薫りとモノトーンで統一された落ち着いた雰囲気でやさしく迎えてくれる。オープン当初から大々的な告知やPRをしていないにもかかわらず、顧客は途切れることがない。
「すごくお客さまに恵まれていて、ありがたいことに、お客さまがお知り合いの方を紹介してくれるんですよ」と。それは、ただ単に一人で子育てを頑張っているからという同情心からではなく、確かな技術と人を癒す人柄が評価されてのこと。
高いリピート率が、そのことを裏付けている。
生まれ育った宇都宮市の高校を卒業してから、東京の専門学校で美容師免許を取得。地元に戻り、美容室に勤務。その後、エステシャンに転身し、職場の先輩に誘われた合コンで、夫の明広さんに出逢う。「参加者の中で一番素敵な人だった」とはにかみながら語る。
2年間の友人付き合いを経て恋人になり、その2年後に結婚。頼りがいのある4歳年上の夫に寄り添い専業主婦として暮らし始め、翌年には長男を出産、新築の家も手に入れ、幸せな暮らしが続くと思われた。
その矢先、夫が癌を発病、9カ月の闘病のかいなく他界。わずか3年そこそこで幼子と二人だけの生活が始まった。「当時のことはあまり覚えていません。子どもが小さかったので、必死に毎日を過ごしていました」。
夫を亡くしてすぐはカフェなどでアルバイト。その後美容師として1年働いてから、まつげエクステ(まつエク)の仕事に就く。子持ちパートタイマーでありながら、施術だけではなく数店舗の統括マネージャーもまかされていた。
夫の死を友人に打ち明けることもなく、実家に戻ることもせず、ご主人の親友の励ましだけが唯一の支えだった。「“かわいそう”と思われたくなかった。自分がやるしかない」と、夫をなくした悲しみをこらえ弱音も吐かずに、子育てと家事と仕事を懸命に両立させていた。
そのがむしゃらな頑張りが、いつしか身体だけではなく、心までも疲弊させる。
施術中に手が震えたり、ふとした瞬間に涙がこぼれたり、精神的に落ち込んでしまう。「“生きていたくない”と思ったこともあります。でも子どもは残していけないので心中しなければ…。子どもの寝顔を見て無理と思いました。この子がいるからこそ今がある」と、子どもへの愛情に迷いはない。
自営で儲けたいという気持ちよりも、より自分らしい働き方をしたくて、自宅サロンを開業。
開業当初は、2階の空き室をサロンとして使っていたので、お客さんもリビングを通って行き来していた。やがて、リノベーションでサロンとプライベート空間を完全に分離。やっと、自分らしさがあふれる本格的自宅サロンが実現した。
もりもりのまつ毛ではなく、さり気ない魅力アップが彼女流のまつエクのテクニック。そして、施術の間の寛ぎタイムが推し。まるで自宅にいるような寛ぎ、1対1の対応からくるVIP感、自ずと会話も弾み素に戻れる癒しの時間こそが、他のサロンとは違うところ。
さらに、自信を引き出してくれるとなれば、リピートしたくもなるし、大切な人たちにも勧めたくもなる。そうやって、オトンヌの扉をたたく人が増えているのだ。
『やりたい気持ちに素直に動く』
さて、彼女の性格は見た目の可憐さとは裏腹に、実にしっかりとしたもの。
まさに“自立した女性”。
経験から培われた面も多いが、ルーツは育ちに起因する。
大学で教鞭をとる厳格な父と看護師の母の元で、3姉妹の次女として育つ。
「“資格を持って旦那がいなくても食っていけるようにせよ”“やりたいことがあれば、まずは動け”と、小さい頃よりずっと父に言われ続けてきました」。そして、“意思を持て。自分の好きなことを見つけろ”とも言われていたそうだ。「父は私に一番厳しかったです。たぶん、私が父に一番似ていたからこそ、自戒も込めて伝えたかったのでしょう」と振り返る。
ひるがえって彼女を見ると、父の教えの通り、自分の好きな道を見つけ、自ら動き、資格を持ち、一人で子育てし、そして、新たな可能性にもチャレンジしようとしている。
いわゆる自立の要素である生活面・精神面・経済面において、全て自分自身で決定して責任を負っている。
この内面の芯の強さがあるからこそ、謙虚で物腰柔らかく、しなやかに物事に対応できる魅力的な人間性が創り出されているのだ。
「よしっ!」と決めたら邁進する彼女は、人生の折り返し地点に立ち、今どこに向かっているかというと、「サロンで使うエプロンのプロデュースを始めました」と。きっかけは「自分が欲しいと思ったから」といたく単純。その単純な思いつきをビジネスにしてしまうのが、彼女のパワーと行動力。
機能性一点張りの仕事着を、もっとおしゃれにしたいという思いから、友人知人のネットワークを駆使して、試行錯誤すること約1年。何回も試作を重ね、ついには商品化。ネットにて販売中。
そもそもクリエイティブな仕事をしたいと思ったのは、実はサロンのリノベーションを依頼したドクターリフォームの担当者の仕事ぶりを見て。「リノベーションを通していろいろと自分自身も成長させてもらえました。ですので、当初は建築士になりたいと思い、調べたら、子どもを育てながら学校に行くのはとても無理。それでも、自分が想像して何かを造りあげたい」と思っていたそうだ。
ちょうどその頃、お客さんの中で起業する人がいて、改めて奮起し、洋服好きだったこともあり、サロンエプロンのオリジナルデザインに至った。
彼女の強みは、日常で接した人の生き様、耳にした話を、一過性で終わらせずに、なにかしら自分に取り入れて、より自分を進化させること。そして、できるかできないかを悩むのではなく、“やりたい”という気持ちに素直に動くこと。
さらに、緻密にプランを立て着実に事を進める。
『亡き夫と共に自分らしく生きる』
新しいことにチャレンジしたもう1つの理由は、息子さんの成長。
「息子が中学生になり、手が離れていくに従い、依存している自分を引き離さなきゃと思ったし、これから、社会に出てここを離れるかもしれない時に自立を妨げたくない」と、将来を見据えて、自分らしく生き抜くためのタイミングを計ったともいえる。
そんな親の背を見て育った息子さんも年相応以上に自立し、実にバランスのとれた人間に育っている様子。
「もともと手がかからずしっかりしているので、叱ることも口うるさくする必要もなく、本人の好きにさせています。一緒に成長している感じ」と親子関係も良好。「夫にそっくり。外見だけではなく、穏やかで、嘘をつくと鼻孔がふくらんだり、帰宅するとまずポストを開けたりするクセなんかも同じ」と嬉しそうに話す。「見た目も性格も大好きで、彼氏だったらいいのにと思うほど」と、まるで息子のしぐさに亡き夫の姿を重ねているようだ。
「この場所と息子を残してくれた夫に感謝。どんなことでも反対せずに応援してくれる人だったので、生きていても私のやりたいことに反対はしなかったはず」。悩んだ時に「夫ならどう言っただろう、どうしただろう」と、常にご主人の存在を感じている。
「闘病中の夫にお義母さんが年末ジャンボを買って来ると言ったら、オレはもう2回当たっているから、もう当たらない。1つはこの家。もう1つは結婚。幸運を2個もゲットしたから…と言っていたそうです」と、ご主人のお母さまから聞いた話を披露しながら涙ぐむ。
心の中では今もご主人と寄り添いつつ、自分らしく前を向いていきいきと生きている。
【Project staff】
企画・編集/ドクターリフォーム Banana works LABO
カメラ/氏家亮子・CLALiS
ライター/菊池京子