『唯一無二の世界観で癒し癒される暮らし』

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『唯一無二の世界観で癒し癒される暮らし』

小倉まことさん

Profile

“昭和”と“きのこ”と“こけし”を愛するイラストレーター。1991(平成3)年10月3日生まれ。栃木県那須塩原市在住。個展や各地のイベントで、イラストやハンドメイドアクセサリー等を展示販売し、老若男女問わず幅広いファンがいる。

“一目惚れ”したという11歳年上の夫とは26歳で結婚。2人の愛娘に恵まれ、子育て、主婦、仕事をバランス良くこなし、充実した日々を楽しんでいる。

※作品やイベント情報等は、InstagramやFacebookで「小倉まこと」で検索。

『売り込みをせず好きな仕事をする』

かっこいい盆栽の枝からブランコが垂れ、ピンクの服を着たファンシーな女の子が遊ぶ。

違和感よりも、個性的な図案に想像が膨らむ。そして、どことなくにじみ出る優しさに、心がほぐれてくる。

「出産してから、今まで目が向かなかったものにも目がとまるようになり、足元の小さなものにも気づくようになった。子どもの眼差しで物事を見ると、今まで想像もできなかったやさしい世界が広がり、色味も深みを増したと感じる」と自己分析する。「見た人が想像してくれるのが嬉しい」と、描き方や形にこだわらず、自由に作品を創りあげている。

 

仕事、子育て、主婦業の傍ら、インスピレーションがわくとコツコツと作品にまとめ、個展を開いたりイベントに出店したり。アクセサリーや雑貨、Tシャツ、トートバック、スタンプ、包装紙、カレンダーなど、イラストを画くだけではなく自らの手仕事で仕上げてしまう。だからこそ、すべて1点もので、どれひとつとして同じものがない。

イラストレーターというより、アーティストとよぶ方がぴったりくる。

 

ひとつの仕事が完結すると、次の仕事が舞い込み、常に10件ほどの仕事を抱えている。

イラストをメインにしたパンフレットや似顔絵、ショップカードやロゴなど、要望があれば何でもこなす。クライアントのニーズに応えつつ、自分の世界観も大切にしていて、営業は一切せず、積極的な売り込みをすることもない。日常生活でふれ合い、作風を気にいってくれた人が依頼してくれる。気がつけば「好きな世界観のお仕事が集まってきてくれている」と満足そう。

 

好きな人やモノだけに囲まれて、人がうらやむような順風満帆な幸せの日々を送ってきたかのように見えるが、実は、そうなるまでには「人生のどん底まで落ちたこともある」そうだ。

 

『がむしゃらに夢を追って』

物心ついたときから絵を描くのが好きで、毎日、目に映るものをスケッチしたり絵日記を描いたりして、将来は絵を仕事にしたいと思っていた。

 

中学1年の時に両親が離婚し、妹と二人、母子家庭で育つことに。母親の仕事の都合で何度か居を移し、転校も経験。本格的に絵を学びたくとも経済的な理由で、公立の地元高校に進学し、美術部で腕を磨く。

躾に厳しい母の「ちゃんとしなさい」の口癖に、模範生徒でいようと、校則はけっして破らず、成績もトップクラスをキープ。美術部部長も務め、リーダーシップを発揮。他にも、吹奏楽でクラリネットのソロパートをこなしつつチューニング(音合わせ)も担うほどの多才ぶりを見せる。

その甲斐あって、有名デザイナーを数多く輩出している桑沢デザイン研究所の入試推薦書で「こんなに褒められた素晴らしい生徒は初めて」と感嘆されたほど。ユニークな人を採用するPR入学という特別枠を受験し、「自分をPRするにはクラリネットしかない」と面接で吹いて、見事合格を勝ち取った。なんとも、奇想天外な発想と度胸に驚かされる。

 

勤労学生として、東京での一人暮らしをスタート。居酒屋“養老乃瀧”で働き、その奨学生として通学。住まい、学校、勤務先が離れていて、それぞれ電車で移動する。仕事は忙しく、毎日の課題をこなすこともままならず、ついには、体調を崩して2年で卒業できず、半年留年して心も壊して中退し、実家に戻る。

イラストレーターを諦め、普通の人として生きようと、地元のカフェで働き始めた矢先、いじめにあって、またまた心身のバランスを失う。

 

それでも、絵は捨てきれず、地元のハンドメイドイベントに出店。意外にも好評を得て、徐々に色々なところから声がかかるようになると、少しずつ自信をとりもどし、改めて「デザイナーとして生きよう」と、屋号“小倉まこと”として2013年に再出発。

マーケティングやマネージメントにも意欲的に取り組み、先輩にアドバイスを仰いだことも。初仕事は、唯一自分から売り込み営業をした、“苔屋”のチラシ制作。

一方で、東京ビックサイトでのイベントにも誘いが来るようになり、今では県外にも赴くことが多い。

 

『ちゃんとしないでゆる~くやる』

どん底まで落ちたからこそ、見えてきたこともある。

大好きだった父との別れが悲しすぎて、母に平手打ちをするほど反抗した時期もあったが、

「元気になるまでやさしく見守ってくれた母や妹のありがたさ。子を持って、母の気持ちもよくわかるようになった」と。

感情の振れ幅が大きく辛い時は、絵を描きなぐることで気持ちを浄化してきた。描くことで「心が満たされ、心を開くことができたから、今がある」と、自分自身が絵に癒されていたことを知る。そして、「自分の作品を見て(心を)癒されて欲しい」と切望する。

 

「楽しいというノリでイベントに参加して、売上もあるので、結構やっていけるな~」と感じたことがきっかけで、「キャパを超えると体調を崩しがちなので、ちゃんとしないように、ゆる~くやる」ことが、いつしか信条となった。

結婚、出産をし、仕事と子育ての両立に悩んだこともあったが、地元のファミリーサポートセンターでいろいろと相談しているうちに、「自分のできることをやろう」というスタンスにシフト。子育ても真面目に全部をこなすと、体調やメンタルが壊れるので、ご主人の家事の協力もあり、今はゆるくしているそうだ。

 

東京で頑張り過ぎて心身を壊し挫折したことを、「必要なスキルは学校で得られた。パソコンも使えるようになった。無事卒業していたら、デザイン事務所に就職して、クライアントのニーズを優先せざるを得なかっただろうから、結果的には良かったのかも」とプラスに振り返ることができ、「いやな仕事はしない」という、今に満足することしきり。

 

『人を癒し自分が癒される』

日常で目にしたものをスクラップし、アイデアの種を集める。どこかでインプットされたものからインスピレーションが膨らむと、作品としてアウトプットする。「仕事というよりも、生きる表現。自分を発信することは面白い」と、自由に心象を形にする。

さまざまな経験を経たことで、人としての深みが作品にも投影され、不思議と人を喜ばせ癒している。

 

今は、イチロー方式を実践中とのこと。

元プロ野球選手のイチローの著書に中学生で感化され、具体的にゴールを決めて、目標に向かってするべきことをやるのだという。当然、今後の予定は、いたって明確。

 

まずは、33歳で絵本を上梓する。ちなみに、期限は今年の10月。

ストーリーも夫と二人三脚で自作する予定。「題材は日常の中にあるので、等身大の作品に仕上げ、共感度の高いものを創りたい」と意欲的。ロールモデルは、イラストレーターで絵本作家の柴田ケイコ。

さらに、自分の仕事を深め、全国展開を目指し、海外も視野に入れている。実際、原画が外国人に購入された実績を持つ。

 

さらなる目標は、雑貨屋を開店、ギャラリーも併設すること。「一番自分らしく、生きる喜びを感じたのは、個展を開催した時。自分が主催した場所で、人が交流し、絵を見て癒されている姿を見られたのは、至福の幸せだった」とか。芸術祭も主催したいと夢は膨らむ。

「どんな人でも、必ずひとつは喜びがあるといい。趣味でもいいので、何か(自分なりの喜びを)見つけて欲しい」と願って、作品づくりに取り組んでいる。

 

「名前の通り、まっすぐな生き方しかできない」と言いながらも、追い込むのではなく「何とかなるしょっ」「何とかしなくちゃっ」という“ゆるいノリ”を心がける。

その生き方こそが、個性的な世界観を創り出し、癒しのパワーを宿した作品を生み出しているのだろう。

 

 

【Project staff】

企画・編集/ドクターリフォーム Banana works LABO

カメラ/氏家亮子・CLALiS

ライター/菊池京子

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