『当たり前のことを丁寧に紡いでいく暮らし』

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『当たり前のことを丁寧に紡いでいく暮らし』

ダスティン・アルフレッド・ギリス・ダイコーさん

profile

1981年11月24日、ウクライナ移民4世としてカナダ・マニトバ州・ウィニペグに生まれる。24歳で就労ビザにて入国、宇都宮市内のインターナショナルスクールに就職し、その後バナナキッズ英会話スクールに転職、現在に至る。35歳で5歳年下の日本人のま美さんと結婚。閑静な住宅街の一角に戸建ての家を購入し、双子の愛娘にも恵まれ、心豊かに四季折々の暮らしを愉しんでいる。

『暮らしを愛おしむ工夫』

ダイコー家を訪れたのは、9月。家中がハロウィンムードに染まっていた。

クリスマスシーズンはもちろんのこと、一年を通して住空間が四季折々の雰囲気に彩られる。そこに、子ども達の成長の記録や家族の思い出の品々がさり気なくアクセントを加え、ディテールにこだわるま美さんのセンスがひかる。

裏庭には、BBQグリルやウォータープルーフの応接セット、遊具など野外で楽しく過ごせるアイテムがいっぱい。夜には温もりある電飾が柔らかく庭を照らし、夏には巨大なプールも出現。屋上には、星空を見上げながら癒されるジャグジーまである。これらは、アウトドア大好きなダスティンさんの設え。

そうして、季節と共に寛げる空間で、家族や友人たちをご夫婦の手料理で頻繁にもてなす。老若男女はもちろん、国籍もまちまち。

お正月や豆まき、ひな祭りなど日本の行事もはずさない。両国の伝統的な文化や食を生活に取り入れ、日々の暮らしをめいっぱい愉しむ。そこには、豊かな時の流れが息づいている。

『大家族の中で』

ダスティンさんは、母親の育児放棄のため、生まれて2カ月で実祖父の養子となり、大家族の中で育った。5人の兄姉は実の伯父と伯母、加えて異母弟妹も5人。同世代の兄弟姉妹はいなく、「一人っ子のような感覚で育った」という。

父はロングドライブやキャンプ、釣りなどのアウトドアに連れ出し、母は本場ディズニーランドなど海外旅行に連れて行ってくれ、兄姉もよく遊んでくれた。一族の結束も固く、親交を深めるために定期的に家族運動会を開催するほど。

アウトドアや旅行、家族や友人たちと楽しく過ごす時間を好むのは、そのせいかもしれない。

養子であることを知ったのは12歳の時。

兄がうっかり口にした言葉に「養子と知ってすごくショック。実母に会いたいとも思った」。「母に問いただすと、ちゃんと座って話そうと、時間を置かずに、隠すことなく実母の現状もきちんと説明してくれて、すっきりした」と。そうして、現状がベストであることを悟り、家族の愛情をあらためて知り、絆もより深まったと振り返る。

複雑な家族関係ではあっても、日々の暮らしを多いに楽しんで、のびのびと成長。

とにかくスポーツ万能で、サッカー、ホッケー、アイスホッケー、バスケットボール、クライミング、スキーと枚挙にいとまなく、学校の成績もまずまずで、いわゆる人気グループのひとりだった。

『よく働きよく遊ぶ』

自立心が旺盛で、12歳からアルバイトを始め、学業の傍らさまざまな経験を積む。

工業系高校と並行して航空学校にも通い、小型航空機のライセンスも取得する多才ぶり。

高校時代から日本に来るまでは、常に2~3カ所の仕事をかけもちした。広告関係、ピザ屋など様々なファーストフード店、長距離トラック運転や-40℃超えの冬のガソリンスタンドも。もともと真面目で性格の良い人柄のため、「うちでも働いてよ」と誘いを受けることが多く、高校卒業後も自然とフリーランスな働き方になった。

チップも多いので稼ぎは良く、友達もたくさんいて、家族に愛され、いわゆる、よく働きよく遊び、充実した日々を送っていた。

が、ふと芽生えた「これでいいのか」という思い。

日々の暮らしに満足はしていても、判で押したようなルーティンな生活。地域柄この先も変わりようがない環境に、いつしか変化を求めるようになった。

『変化を求めて日本に』

そんな折、たまたま友人宅にホームステイで訪れていた日本人と知り合い、初めて日本という国に興味を持つ。それまでは、忍者や富士山、お城といった伝統的なイメージしかなかったが、「日本はいいよ。日本に来たらもてるよ(笑)」などと言われたことがきっかけで、生活を変えるために日本行きを決行。

訪日の第一印象は、「英語があまりに通じないのにビックリ。島国という地理的にユニークな国であることを知って納得した」と。一般的に、外国人は日本の歴史や文化、食、風景などになにがしか興味があって訪れるが、変化を望んで来ただけの彼にとってはほぼ未知な世界。「カナダでは海も山もはるか遠く、行くには距離も時間もかかる。日本は都会も山も海もすぐそこで、とても新鮮」と、自国との違いをむしろ歓迎。

まずはカナダの友人が居た宇都宮市内で、インターナショナルスクールの教師となる。その後、友人の仕事を引き継ぎ、バナナキッズ英会話スクールに入社。持ち前の明るさと人柄の良さで教え子や保護者たちから慕われ、社内外での信頼も厚く、今では重要なポジションを担っている。

『今を大切にしつつ今に縛られない』

やがて、職場の部下だったま美さんと結婚。

ただ日本に居続けるためには、在留資格の更新手続き、永住許可申請、または日本への帰化のいずれかが条件。ま美さんの父親に帰化することを勧められても即座に否定、カナダ人であることに誇りを持って国籍を固辞。ところが、永住権獲得の申請条件が満たされる直前に、在留資格の更新手続きをうっかり忘れてしまった。

職や身分を失い、あわや国外退去の危機に直面したが、妊娠間もないま美さんは動じることなく、夫との生活を支えた。そのかいあって在留資格を再取得でき、無事双子の愛娘を授かる。

ま美さん曰く、「とにかく、物事や人をカテゴライズせず、なんでもウェルカム。血縁関係もグローバルな生い立ちだからこそ、人の好き嫌いがあまりなく、どこに行っても自立できる人間」と夫を分析。一方、ダスティンさんは、「妻とはお互いに補完しあっている。性格や好みはことごとく違うけれど、大切にするものや物事の考え方など根っこが同じ。なので、結構うまくやっている」と、お互いをリスペクト。

二人が大切にしていることは、“今”を大事に暮らすこと。だからこそ、物事の優先順位ははっきりとしている。

家を購入する時も、自分たちらしく暮らすために費やせる予算をきっちりと決め、決して背伸びをせず等身大にとどめた。「妥協ではなく、こだわるところはこだわり、メリハリのある選択をして、できる範囲の中で最良を目指した」そうだ。

それでいて、“今”に縛られない自由さも持つ。

「娘たちの成長に合わせて海外で暮らしてもいいし、老後はこの土地や家にこだわらず、好きな場所で暮らしてもいい」と。つまりは、土地や家、仕事など生活環境にしばられず、心が向いたらあらがわずに動くと決めている。

世界中どこに行っても困らない会話力、型にとらわれないでその土地に根をおろして暮らせるリベラルさ、それでいて自分たちらしいスタイルもキープするご夫妻の生き様は、羨ましい限り。

3歳になる子ども達は、英語と日本語を器用に使い分けて話し始めた。「自分たちがそうであったように、とにかくいろいろな世界を見て、ひとつに固執せず、いろいろなことを経験して欲しい」と願っている。

『小さな幸せを大切に』

カタコトの日本語で、たまに“おやじギャグ”で周りを和ませる。「外国人をおそれないで、気軽に接して欲しい。異国ではみんな淋しいからね」と。

地域に馴染む秘訣を問うと、「伝統的なことや、 “あなたのスタイル”を否定せず、受け入れること」と。さらに、「お互いをうまくリスペクトして吸収し合えば、どこでも、誰ともうまくやっていける」。そして、「相手を受けいれることは必要だけど、自分をなくすことなく、自分らしくいることが大切」と。

この生き方こそが、国や人、言葉にも垣根を作らず、ほどよい距離感で絆を育む。

ま美さんは、「夫は、ネガティブな意見、負の感情を持たずに自然体でいる。考えが違う人を決して攻撃せず、ただ距離を置くだけ。ひと言でいうなら、“広い”。まさに、広大なカナダの大地を思わせる “良き人”」と夫を語る。

良き人とは、夫婦の関係が良いこと、子どもが健やかにのびのび育つこと、他人の悪口を言わないことなど、日常の中でちょっとした気遣いをしつつ、日々の小さな幸せを大切にする人のこと。

心豊かに心地よく暮らすためには、決して特別なことをするのではなく、自分たちらしく、当たり前のことを丁寧に紡いでいくことなのだと教えてくれた。

【Project staff】
企画・編集/ドクターリフォーム Banana works LABO
カメラ/氏家亮子・CLALiS
ライター/菊池京子

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