横田由貴子さん
Profile
2023年梅雨のころ。機は熟した。
由貴子さんのありったけの想いを込めた菓子店“酵母菓子 雨花(うか)”がスタート。
梨農家の祖父母が使っていた大谷石造りの納屋を厨房にリノベーションして、まずは、ネット販売から始め、マルシェなどにも出店。小6の次男が高校生になったら、店舗も併設する予定。菓子作りも好きだけど、家族、とりわけ二人の息子たちに向き合う時間ははずせない。
『菓子作りへの道』
やさしい雨にみずみずしく生き返る花たちのように、「お菓子を食べて少しでも心が癒されれば」という想いで作られている雨花の酵母菓子は、けっして、インパクトがあるわけではなく、素朴でひと口ひと口かみしめると、そのやさしく深い味わいにはまっていく。やがて、笑顔がこぼれる。
そんな菓子たちは、常に「人を笑わせたい」と願っている由貴子さんそのもの。
幼い頃から、母親の手作り菓子やパンを食べることが幸せで、菓子作りをする母親の姿をそばに張り付いてじっと見ていた。母親への感謝と憧れがつのり、小3で母の誕生日祝いのヨーグルトケーキを、本をたよりに見様見真似で作り上げた。とても喜んでもらったことが嬉しくて、それからは毎年作るようになり、いつしか、料理本のレシピをせっせと作るようになっていた。
料理本に出てくる知らない言葉は、母の作り方に照らし合わせて理解し、やがて自分のオリジナルメニューも生み出していく。まるで、小学生の頃から職人修行をしていたようなもの。菓子作りを将来の仕事とは考えていなかったが、高校卒業後は、東京の製菓の専門学校を選択。そこで学ぶことで、考え方や作り方はガラッと変わった。
それまでは、師匠は母と本で、ほぼ独学。一線で活躍するプロの講師の基礎からの教えに、「えっ、そうなの」と驚きと発見の毎日。「正しい作り方や基礎を学べたことは、財産になっている」と。そして、「料理は奥が深い。適当が許せなくなってきた。少しでも形がいびつだと作り直します」と自らの変化を笑いながら語る。学生は、プロをめざす人からただ菓子作りが好きな人までさまざま。学校生活や先生が作ったプロの味を堪能できる環境は申し分なく、「とにかく、楽しかった」と振り返る。
『試練の時と癒しの時を経て』
現役プロ講師による実践教育と充実した就職サポートで、意欲的に飲食業界を目指す同級生が多い中、「やりたいけど、でも、一歩踏み出す勇気が出ない」と、まずは、都内のケーキ屋にパティシエとして就職。なれない都会の一人暮らしと、現場での戸惑いやプレッシャーなどから、「食べたり、作ったりするのが辛くなってしまい、こんな気持ちでは作れない」と4カ月で職場を離れてしまった。
根が真面目だからこそ、いわゆる挫折に悩み、思い詰めて、一時は摂取障害に陥ったほど。そして、傷心を抱えて実家に戻り、地元で事務系の仕事に就く。
試練の時を経て、少しずつ自分らしさを取り戻していく。
そして、思い込んだら一途な性格が、やがて幸運を引き寄せていく。
大きく動いたのは、12歳年上の夫の英之さんとの出逢い。仕事先に出入りしていた営業マンで、やさしく親切なところに惹かれ、徐々に距離を縮めていった二人。心が迷い、どっちに進んでいいかわからず、地に足を着けたいと切望している時に、包容力のある英之さんとの出逢いは、きっと必然だったのだろう。付き合って1年後に21歳で結婚。その1年半後で長男、さらにその1年半後に次男を出産し、徐々に心が癒されていく。
再び菓子作りを始めたきっかけは、「長男の最初の誕生日に、ケーキを作ってやりたいな」と思ったこと。まさに、自分が幸せだった幼少期の想い出が原点になる。菓子作りを再スタートしてからは、毎日のように菓子やパンを作り、家族や友人、知人に喜んで食べてもらえることに幸せを感じていた。量もどんどん増えて、「作る量と消費量が釣り合わず、それでも、もっともっと作りたいという思いがあふれた」そうだ。そんな折、マルシェなどで焼き菓子などを販売している人を見かけて、「自分もやれないかな、という気持ちが芽生えてきた」と。
『一番大切なことを見失わずに夢を追う』
素晴らしい人生へとV字回復を遂げた由貴子さんは、新たな夢に向けて始動している。
36歳で「酵母菓子 雨花」を起業。
「今思えば、辛さ、悲しさの経験も貴重だった」と笑顔で過去を振り返り、自分が苦しんだ時期があるからこそ、「幸せこそが大切」と力説する。そうして、由貴子さんにとっての菓子作りは、“単純に作るのが好き”から“菓子で人を幸せにしたい”という想いに転化した。4年半もの間、健康を害したからこそ、素材にもとことんこだわる。雨花の酵母菓子を食べるとなぜか心が安らぐ。一つひとつの包装からもそのやさしい想いが伝わってきて、確かに癒しのパワーが感じられる。
由貴子さんの見た目の印象は、輝くようなすっぴん美人。笑顔が素敵で、少女のような清楚さが内面からにじみ出ている。逆境に耐えたからこその強さなのだろうか、つらい経験など微塵も感じさせない。
常に考えているのは、「どんな菓子を作ろうかと、どうやったら人を笑わせるか」。子ども達が喧嘩していたらクスッと笑わせる方法は何か、ご主人といる時には何か面白いことを言えないかと、考えを巡らせているそうだ。自分のことで精一杯だったかつての自分を清算し、今は周りの人を楽しませ、幸せにすることしか考えていない。それが、輝く笑顔の源でもある。
蔵をリノベーションして、近代的な厨房を造り、店を開くスペースも十分あって、これから起業家としてどんどんビジネスを展開すると思いきや、まずはネットからの注文販売とマルシェ出店だけにとどまる。「お店もいいなとは思う。でも、長男は来年高校受験。お店をやるようにしたら、子どものことがおろそかになりそう。時間も拘束され融通がきかなくなり、果てはイライラして子どもに冷たく当たっちゃうかも。少なくとも小6の次男が高校生になるまでは、ちゃんと向き合っていたい」と、家族、特に子ども達を最優先させる。
家族を大切にし、楽しく仕事をする、そのバランスこそが由貴子さんの幸せの不文律なのだ。
ところで、屋号のインスピレーションは、昔からなぜか好きだった「雨」と、好きなアーチストMr.Childrenの曲『花』から。雨は、花や植物、樹木、さらには人間や動物の命までも育む。不思議と癒しパワーが宿る菓子たちには、あまりにもピッタリした命名。
マフィン、パウンドケーキ、フィナンシェ、パン、クッキーの、味のバリエーションは数えきれない。Instagramをチェックしてみよう!
酵母菓子 雨花 (@koubogashi_uka_)
【Project staff】
企画・編集/ドクターリフォーム Banana works LABO
カメラ/氏家亮子・CLALiS
ライター/菊池京子