櫛谷尚紀さん・結実枝さん
Profile
京都府出身の尚紀さんと滋賀県出身の結実枝さんは、栃木県で出逢い結婚し、12年目を迎えた。尚紀さんは、20年間勤務した有名企業を辞して、サラリーマンから農家に転身、今はさつまいも農家を目指している。
結婚と同時に新築したおしゃれな家を手放し、農業に適した600坪の敷地と石蔵付きの空き家を買い取り、リフォームも終え、新たな地で夫婦それぞれの夢を追いかけ始めた。
『これからの20年を考えて方向転換』
最先端技術の開発に20年間携わってきた尚紀さん。世間的には、エリートとみなされる職場だ。経験と実績を評価され、マネージメントの管理職に進むための研修にも召喚された。ある意味、「これから定年まで安泰」と、普通の人は思うところ。
ところが、人や技術をマネージメントするよりも、現場にいて自分でやるほうが好きな尚紀さんにとって、安泰ではなく「後20年やって定年した時に、何も得られず、今も20年後も違わない」。「もっと何か違うことができるのでは」と考え、4年間かけて模索し、「農業にしよう!」と決め退職。
「もともとモノづくりが好き」と言っても、相手が機械と作物では雲泥の差のはず。本人曰く「今まで顧客の顔を見ることがなかったので、成果を実感できなかったけど、作った野菜を通してお客さまの顔が見られるだけでも嬉しい」と、意欲的。とはいえ、サラリーマン家庭で育ち、家庭菜園程度しか知らなかったので、まずは栃木県農業大学校の土曜クラスに通い始めた。
そして、財団法人宇都宮市農業公社で、さつまいも農家を紹介してもらい、今は修行の身。本格始動は、2025年4月を目指す。
ところで、何故さつまいもかと言うと、「自分が好きなんです」と単純明快な返答。続けて「栽培がしやすく、収穫後の保存がよく、6次化も可能。過剰なブームで乗り遅れ感はありますが…」と、実はきちんと分析した上での選択だったようだ。
『未来に向けてのビジョン』
朝6時起床、家の周りの畑作業をしてから近隣農家に研修に行き、夕方帰宅。これが尚紀さんのルーティン。
前職時代よりも体力的にはきつそうだが、「身体は疲れているけど、脳は健康」と結実枝さんは評価する。というのも、「夜うなされなくなった」とか。本人は気持ちの切り替えはできるタイプだと思っていたようだが、妻によると結構な頻度でうなされていたらしい。それが、ピタッとなくなり、少しやせて健康体になり、体力・筋力がついて逞しくなったそうだ。なによりも、畑仕事をしている時の表情が「楽しそう」と。自分のために生きるということは、こんなにも心身をいきいきと好転させるものなのか。
農業を生業にするためのさしあたっての目標は、「生活できる稼ぎを目指す」こと。「計画上では、5年後には生活ができるようになっている」と試算する。
そのステップは、
- 認定新規就農者になり行政の補助金を得ること。そのための研修をしている最中。
- 売れる野菜を作り、買ってもらえる場を開拓し、収益の基盤を作る。
- 最終的にはこだわりを持って、さつまいもの生育・加工・販売を全て自分でやり、ブランド化していく。ブランド化とは、自分の屋号を決めて、ただのさつまいもではなく「櫛谷さんのさつまいも」と選んでもらえるまでにすること。「そうなると、さつまいもが自分を代弁することに。責任も重いが、やりがいにつながっていくはず」と意気込む。
あまり言葉に出さなくても、心に熱い想いと緻密な計画が潜んでいるようだ。
今まで真面目に働いてきたことをキャリアにして、世間一般の価値基準ではなく、自分の心に耳をすまし、人生の折り返しで、新たな人生に挑戦する生き様に、うらやましささえ感じる。現代ホスト界の帝王と称されるROLAND(ローランド)の「どう思われるかよりどうありたいか」の言葉にハッとし、リスペクトするところもリベラル。
『賛美歌が今の音楽のルーツ』
妻の結実枝さんは、フィドル(バイオリン)とノルウェーの伝統楽器ハーディングフェーレの奏者。
大学卒業と同時に栃木県に嫁いできたが、16年前に離婚。その後も実家に戻ることなく、「人の縁と、土地の空気感が気に入って」、ここにとどまった。それは、海なし県だったり、都会に近い一方で豊かな自然が身近にあることだったり、育った場所に似ていたからかもしれない。「最初は言葉や文化の違いに苦労したけど、住んでいくうちに住みやすいなと感じるようになった」そうだ。
サラリーマン家庭で、2人姉妹の次女として生まれ、両親がクリスチャンだったので、お腹の中にいた時から礼拝の賛美歌を聞いて育った。そのせいか、音楽を好み、高校までバイオリン教室に通っていた。「クラシック以外の音楽をバイオリンでやってみたかった」と音楽系の大学には進学せず、手探りで自分らしい音を独自に追求してきた。
結婚で一時中断していたバイオリンだったが、離婚後復帰。当時の友人が北欧音楽やケルト音楽に詳しく、それらにインスパイアされて今に至る。「プロとして、お金をもらえるようになったのは、10年ほど前から」。
今は、県内だけではなく県外でも演奏会を開き、ソロアルバム「光」やアルバム「色なき風に絵筆持ち」などをリリース、Webでも配信している。
https://aboutme.style/liten-fele
『いい感じの距離感』
趣味で楽器をやっていた尚紀さんが、結実枝さんがアルバイトをしていた楽器店のレッスンを受けに来たのが二人のはじまり。「バイオリンを弾いていた姿が目を惹いた」と振り返る尚紀さん。出逢ってから4年で結婚。
尚紀さんの今回の選択について、結実枝さんは「自分もやりたい音楽の仕事を認めてもらっている。思いついたらすぐやる自分と違って、しっかりと計画的に動く人。今回の転職も唐突に決めたのではないのはわかっていたし、やりがい、生きがいが見つかったなら、その道に進んでもいいと思った」と全面的に肯定。
自由に生きることは、自分で責任を負うこと。順風満帆であればこそ、新しい事にチャレンジするには覚悟が必要。その決断を受け入れる妻の理解と信頼も必須。
つまるところ、二人の価値観は同じなのだろう。
尚紀さんは、高等専門学校卒業後、就職せずに大学3年に編入し、さらに大学院で学ぶ。物心ついた時から、計画を立ててから一歩を踏み出していたので、親や兄弟の信頼が厚く、進路について一切反対はなかった。入社してからエンジニアに配属され、栃木県に赴任。「仕事は面白かった。わりといいポジションで仕事をさせてもらっていた」そうだが、現状にどっぷり満足することなく、今よりもっとプラスαを求めるのが尚紀さんの性分らしい。
尚紀さんは一人暮らしで、食事や掃除、洗濯は一通りできるようになっていたので、結婚してからも家事は二人でやれるほうがやり、互いに自立した生活をし、ほとんど干渉しない。無関心ということではなく、いい感じの距離感が心地よさそうだ。
結実枝さんは、「今まで時間に縛られて、キチキチと生活していた。これからは、自然に寄り添って、時間を自分でコントロールする生活になる」と、これからの暮らしに期待する一方で、「夫の農業の手伝いと自分の音楽といい案配でやっていきたい。音楽でコネクションがたくさんでき、活動の場も広まった。レストランなどでも演奏するようになったので、主人のことも少し支えられたら…」と内助の功もみせる。その言葉を受け、尚紀さんも「人とのご縁、繋がりがお互いにとって鍵だと思っている。心をのせた野菜を通じてファンづくりをしたい」と。
必要最低限しか言わない夫を良く理解する妻と、妻に何事も強要しない夫。相手のしたいことをお互いに尊重して、理解し、認め合って、それぞれに充実している二人。他人の目を気にせず自分たちらしく生きることで、豊かな時間を楽しんでいる。
【Project staff】
企画・編集/ドクターリフォーム Banana works LABO
カメラ/氏家亮子・CLALiS
ライター/菊池京子