増山真紀さん
profile
山形県寒河江市出身。大学で出逢ったご主人に嫁ぎ宇都宮市民となる。二男二女の子育てのかたわら、絵、随筆、小説、アトリエでの創作物、コミュニケーションで、自分自身を昇華中。逆境にあっても事を陽転化して考え、前に進むしなやかさとたくましさを併せ持つ。
『自分流にふるまうしなやかさ』
人の心を和ませる、涼(すず)やかな微笑みが魅力の真紀さんは、いくつもの顔を持つ。
嫁・妻・母・アトリエ主宰・執筆家。
4人の子どもを産み育てながら、介護が必要な祖母と同居し看取り、離れで地域の子どもたちの“ART HOUSE”を運営。その一方で、随筆や小説などをしたためる。そのどれもが「濃い!」。それでいて、悲壮感やエネルギッシュさを感じない。そこには、背伸びせず、気負わず、あるがままに受け入れて、自分流に振る舞うしなやかな姿がある。
『安心感の根っこをはれる家庭』
山形県で、明治生まれの曽祖母・大正生まれの祖母・両親・姉二人の母系7人家族で高校まで育つ。両親がそろって教師だったため、幼い頃から二人の“おばぁちゃん”と過ごしていた。「女学校で寄宿舎生活をしていた曾祖母は、新聞を毎日読み、日記を書き、着物を着て髪をキリッとまとめ、正しい生き方をしていた」と。「祖父は沖縄で戦死。祖母は幼子二人を連れて満州から引き揚げてきて、親戚の家を経て実家の山形県に戻った」。その当時の話を折に触れ耳にしていたそうだ。
結婚してすぐに山間の分校に赴任した両親は、学校の住込住宅に住みながら、豊かな自然の中で地域の人と密着して暮らしていた。今でも採れた大根が届くほど。真紀さんは、家族が寒河江市の母の実家に戻ってから生まれる。「コタツでお相撲を見る曽祖母、家事をする祖母、外で働いて家に帰ってくる両親、仲の良い姉妹。一家団らんに、安心感の根っこをはれる家庭だった」と安定した子ども時代を振り返る。
だからこそ、妻として、母として、コミュニケーションがとりやすく関わりをいっぱいもてる家づくり、ほっとする雰囲気づくりにこだわる。今の家は、同居する祖母の家をリフォームしたもの。フルオープンのLDKは、一見乱雑に見えるが、不思議と温もりがあって、妙に落ち着く。まさに、真紀さんの人柄そのもの。
『暮らしの中で感性を磨く』
小さい頃から絵が好きで得意だった。姉たちの影響もあってマンガ本をよく読み、一時は漫画家になりたくて、藤子不二雄に手紙を送ったこともあるほど。
一緒に寝ていた曽祖母から、昔話などを素語りしてもらって寝つく。時には、姉も本を読み聞かせてくれた。祖母が保育園の園長だったこともあり、家にはたくさんの絵本があった。そんな環境が、絵心を芽生えさせ、本好きにさせた。
「お天道様と一緒に生活をし、自然を好み、仕事の合間に畑を耕していた父の影響で、土に触れ植物が好きになった。父が桑の実を採ってくると、母は洗濯バサミで桑の実をぶら下げ、子どもらがそれを採って食べるというような、ドラマチックな暮らしを楽しんでいた」そうだ。そうやって、真紀さんの感性は何気ない生活の中で磨かれていった。
やがて、東京の大学に絵を学ぼうと進学。「私にとって絵を描くことは、自分にあるものを表現、アウトプットすること」と言うように、真紀さんの描く絵は独特。曲線や植物をモチーフに、その時々の心模様を線にのせる。「ピカソが子どもの絵は天才と言っていたが、無心で線に気持ちを乗せる心地よさ。筆が勝手に動く境地がたまらない」と。大学時代の恩師が「天真爛漫だからいい絵が描ける」と評してくれたことを嬉しそうに語る。そんな気持ちが、ART HOUSEに込められているのかもしれない。
『家族との絆』
大学入学早々に知り合ったご主人と、7年間一緒に時を過ごし、そして結婚。今では高校2年を筆頭に二男二女をもうけ、末っ子は現在5歳。
結婚してから今に至るまでは、ほんとうに目まぐるしい日々を過ごす。まず、同居している祖母の介護。と同時に、ART HOUSEで地域の子どもたちに創作活動を指導。やがて、長男が不登校に。そんな折、末娘を出産。
結構ハードな状況だけど、本人は「何とかなるかな」と、あるがままに受け入れ、介護中だからとか、子育て中だからとか、不登校の子がいるからと、社会との関わりを閉ざすことなく、積極的に自分のできることを模索しながらも、前へ、前へと歩み続けた。
時には、自分を責め、悩み、落ち込み、心のよりどころを模索し、夫婦でもぶつかり、それでも、前を向いて、家族に寄り添い、自分らしくあろうとしてきた。もちろん、微笑むことを忘れずに。
やがて、不登校だった長男も、人情あふれる地域の大人たちに励まされ、学校で自分の居場所をみつけ、今では皆勤賞をねらうまでに。「子どもが不登校になったから、分かってきたこと、(自分が)成長できたことがあった」と。「見守るだけだったけど」と言うが、それがどれだけ難しかったか、我慢のしどきだったことか。真紀さんのしなやかさは、こうして培われてきた。
『未来につなげたいこと』
「家族みんながこの家にいる“今”がとても大切」と言う。やがて巣立つ子どもたちを想い、「自分は唯一無二のかけがえのない存在だという自信を持てるような、そんな関わりがこの家でできたらと思う。4人の子それぞれとの時間を大切にしたい」。夫についても「出会ってからいろんな時間を共に過ごした同志、いまも共に歩んでいる感覚が心地よい。これからも、この家で一緒に事を乗り越えながら年を重ねていけたら一番の幸せ」。まさに、自分が幼少時代を過ごした、安心の根っこをはれる家庭を目指す。
一方、ペンネームでも綴ってきた随筆は、栃木県芸術祭で随筆部門最高位の文芸賞や宇都宮市芸術祭賞などを受賞。「自分のことを書くから、内面まで見つめる機会」だと言い、その作品を通して、40~80歳代の人生経験を積んだ先輩たちと意見を交換する。最近、小説も書き始めた。「わたしの随筆や小説を子どもたちが大人になってから読む機会があるかもしれない。時を経て、わたしの文章により、何か伝わることがあれば嬉しい」と、作品にメッセージを託す。
末っ子が生まれて休止していたアトリエも、これからは、シルバー世代の集いの場、地域のコミュニケーションの場、情報交換ができる場に進化させる計画がある。「地域の一人暮らしの年配の人が集って、外に出る機会となり、創作活動をしながら人とのつながりが持てたらいいな」という想いは、かつて4世代それぞれが自分の居場所と役割を担って一緒に暮らした原風景への憧れかもしれない。
やらなきゃいけないこと、やりたいことがいっぱいで、適度に手を抜くことを“よし”とする。「やれないことは、“すみません”とあきらめちゃう」と、苦手な整理整頓を笑って正当化するところも、彼女らしい。スタイリッシュな空間をキレイにしておくよりも、お気に入りのダイニングテーブルにパソコンを持ち出し、次男とテレビのドラマを鑑賞しながら、小説をしたためる。イイ感じの乱雑さ加減が、なぜかホットする。
【Project staff】
企画・編集/ドクターリフォーム Banana works LABO
カメラ/氏家亮子・CLALiS
ライター/菊池京子