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2022.10.19継続は力なり この道のみ歩んできました

ドクターリフォーム、建築士の山口です。

今回は、10月に開催された『とちぎ国体』開催をきっかけに、久しぶりに再会した友人に関する内容を、ブログ記事にしてみたいと思います。

彼の名は、神村忠利(ジンムラタダトシ)。東京都大田区で、工務店『神村工務店』を営んでいます。

私たちの付き合いは、遡ること32年前。お互いに高校卒業後に進学した、日本建築専門学校の門をくぐった所から始まりました。その当時の写真(造園の授業にて 写真中央下段神村氏 上段山口)



こちらの学校。とても特殊な学校です。

まずはその場所。富士宮市上井出2730-5(住所、今でも覚えています。)

グーグルマップで確認すると、「ほぼ富士山🗻(笑)」。この何にもない環境で、私たちは4年間、寝食を共にし日本建築を学びました。



当時は、まだ18才の少年の集まり(1学年1クラスのみ 全校生徒150名程度)でしたから、授業をサボって遊びに行ったり、寮内での卓球の試合(もちろん遊び)で負けた勝ったと、そんな他愛もないことで取っ組み合いの喧嘩が始まったりと、毎日が合宿のような日々でした。

そんな中、神村氏には、ブレない自信と、やるべき道。が、見えていたように思います。

「1962年から続く、老舗工務店の跡取りとして、先祖に恥じぬ技術を身に着けよう。」

また、高校球児でもあった彼には、「甲子園には行けなかったが、大工の腕で一流になってやろう。」そんな気迫も、私は勝手に感じていました。

最終学年となった4年生の時には、卒業制作の課題に、日本の伝統工法を選び、独り作業室に布団を持ち込み、研究と模型の制作に取り組んでいました。(彼の作品は、今でも校内に展示されている。)

卒業後、大工の親方の所に修行に行き、徒弟制度の壁に悩んだ話をしてくれたことも覚えています。

「普通に、親方のノミが、自分めがけて飛んで来るんだよぉ」と笑って話していましたが、そこでの苦労が並大抵ではなかったことを、同じ建築業界に進んだ私たちは知っています。



それから30年。経験を重ねた彼は、今では打ち合わせ・図面・監督・大工を全て一人でこなすスーパー大工に。

物腰柔らかな対応と、ジモトでの実績が評判を呼び、仕事が途切れたことがないそうです。

きっと依頼をしても、工事が出来るのはしばらく後になるでしょうから、大田区近辺で新築&リノベーションをお考えの方は、ぜひ早めに、ジンムラ工務店をチェックしてみて下さい。

「日本のどこかで、同じ釜の飯を食った仲間が、建築の道で頑張っている。」そう思えることが、私たちの誇りです。

他は知らない。この道のみを歩んできました。

日本建築専門学校5期生・Team Banana works LABO 一級建築士 山口弘人

私たちの出身校:日本建築専門学校のホームページはこちら。

神村工務店さんのホームページはこちら。

おまけのはなし

今回、彼との再会がなぜとちぎ国体だったのか?彼の娘さん『神村ひより』選手が、国体の馬術競技に出場し、彼はその応援に来ていたのです。

もちろん、私たちも家族と友人と共に応援団を結成し、会場へ。



結果は、見事優勝!ひよりさんが、馬術を始めたきっかけは、幼い時の那須南が丘牧場での乗馬体験だとか。きっと、とちぎとの相性も良いのですね。

道を決めたら貫く姿勢。父親譲りなんですね。

将来は、オリンピックも目指す、神村ひよりさんも、ぜひ応援よろしくお願いいたします。

ひより選手の動画はこちら。

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